飯盛女と湯女
2024年7月2日 09:10
本日7月1日は、川崎市の市制100周年記念㊗️ ということで… …やっと!3月25日のブログで執筆予告していた「宿場町(しゅくばまち)」についてのお話です。 のブログで言及しているネットラジオ「琥珀ラジオ(仮)#06」でもお話していますが、私は地名とその由来を知ったり調べたりするのが大好きで、iPhoneにもこんな風に古地図アプリがいくつも入っています。 そんな古地図趣味に、あるとき一本の筋がすっと通ります。 それが「宿場町」でした。 宿場町と性風俗と私 江戸幕府が、日本橋を起点とした五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)を整備し、それらの街道沿いに一定間隔ごとに宿場が設けられていった…という話は、ご存知の方も多いかと思います。 歴史にまったく興味がない方でも、東海道に設けられた53の宿場を表す「東海道五十三次」はきっと一度は見聞きされたことがありますよね。 歴史トークが苦手な方にも飽きられないよう、唐突に私の自撮りなども見ていただきつつ…笑 ただ、私も長らく新宿に暮らし、その新宿もまさしく「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」という江戸四宿の一つだということは知っていたものの、「宿場」「宿場町」といった単語にはあまりピンと来てはおらず… でも、ある時期おしごとで北品川近辺を頻繁に訪れることがあり、旧東海道品川宿の面影を残そうとされている街並みに惹かれアレコレと調べていたところ、品川宿が 北の吉原、南の品川 と言われるほど、吉原遊郭に次ぐ規模と品格を持つ江戸の一大遊所だったと知ります。 “品川は500人、内藤新宿、千住、板橋はそれぞれ150人まで遊女を置くことを許可されていたが、実際には倍以上の女がいるのは常識だった。とくに品川は繁栄し、なにかにつけて吉原と比較対照されるほどだった。” 出典:吉原の遊郭よりも手軽に”遊女遊び”ができた【湯女・飯盛女】とは? | 歴史人 北品川の旧東海道沿いにある「KAIDO books & coffee」さんでは、その名の通り街道に関する歴史読本がたくさん。ここで読書しながら絶品のスコーンやホットドッグをいただくのが当時のマイブームでした✨️ そして、品川宿はじめ江戸四宿に限らず、「宿場町と性風俗」が切っても切り離せない関係だったことも知っていきました。 それは次第に、私のなかで自分の職業と歴史とのつながりを強く感じさせることになり、そこで古地図好きの趣味に「宿場町」という一本の筋が通ったのです。 ちなみに、私は出身が長野県ということもあり、新宿を中心に上京以来住んできた各所で縁があった五街道は「甲州街道」と「中山道」だけ。現代の新幹線や東名高速道路にまで連なる「東海道」という日本最大の旧街道には人生を通じてまったく無縁でした。 なので、もし宿場町と性風俗のつながりに関心を持つきっかけを作ってくれた品川宿や東海道への親近感が培われなければ、「ソープ業界にお世話になろう!」と考えたときも、もしかしたら川崎は視野に入らず吉原一択だったかもしれません。 江戸から時は流れ、いまやソープ業界は 北の吉原、南の川崎 となっているわけで、巡り巡って川崎宿は堀之内の琥珀に来られたことを本当に幸せに思っています。 飯盛女と湯女 さて、ようやく本題の「宿場町と性風俗」ということで…先日もブログに書いた「飯盛女(めしもりおんな)」という言葉はご存知でしょうか? 学校で日本史を選択してこなかった方を中心に、「一度も聞いたことがない!」という方も多いかと思いますが、この「飯盛女」が実に日本らしいのです。 江戸時代、遊女は公許の遊郭である吉原などにしか置けないルールでした。でも実際には宿場町にも遊女を置かなくては何かと男どもがおさマラない…ということで、旅籠(はたご。食事付きの旅館)に置くことが許されたセ〇クスワーカーたちがいます。それが「飯盛女」でした。 旅籠という「食事付き」の旅館で、お客様の「飯を盛る」役割の女という名前で、その真の姿は遊女…。 売春防止法が有効な現代日本において、ソープランドが「公衆浴場に入っていたら、背中を流してくれていた女性とたまたま肉体関係に陥ってしまった」という体で運営されていて、そのために「入浴料」には決して性的なサービスが含まれておらず、聞くまで総額がわからない…というのとそっくり。実に日本らしいと思いませんか? なまじエロ要素ゼロの「飯盛女」なんていう名前だけに、純粋無垢な児童生徒が訪れるかもしれない「東海道かわさき宿交流館」でも「後者は飯盛女が客の世話をする旅館です」と容易にごまかせてしまうのがすごいですよね。「前者は普通の旅館」の「普通とは?」と合わせて「世話とは?」とジワジワきてしまいます笑 ちなみに、まさしく仕事のあり方自体が現代のソープ嬢にあたる「湯女(ゆな)」というセ〇クスワーカーも、飯盛女とは別にいたそうです。 というより、湯女こそがむしろ当初、公許の遊郭である吉原の外で活動してしまっていた「ルール違反の遊女」だったとのこと。つまり、順番としては… 1. 湯屋(蒸し風呂屋)が各所に乱立し、そこで垢すりや洗髪の延長でセ〇クスの相手もするようになった「湯女」が活躍。 2. 公許の遊郭である吉原が、湯女を取り締まる。 3. 男たちがおさマラないので、配膳の延長でセ〇クスの相手もするようになった「飯盛女」という新たな遊女が宿場町で活躍。 …ということになるみたいです。 江戸時代には、吉原という公許の遊郭・遊女を守るために「湯女」が禁止された結果「ご飯をよそっているだけです」という体のセ〇クスワーカー「飯盛女」が生まれ、いっぽう現代では、売春禁止法で遊郭・娼婦が禁止された結果「入浴をお手伝いしているだけです」というていのセ〇クスワーカー「ソープ嬢」が生まれた……めぐっていく性のこじつけや建付けが、人間味に溢れていて味わい深いなあと思いを馳せる次第です。 おすすめ記事 吉原の遊郭よりも手軽に”遊女遊び”ができた【湯女・飯盛女】とは? | 歴史人 江戸のお風呂はオプション付き? 湯女というお仕事 第1回 | 歴史人 1宿場150人…いや、その倍はいた「飯盛女」は和歌になるほど人気者【前編】 | 歴史人 ほかにもまだまだ「夜鷹」とか「船饅頭」とか江戸の興味深い性風俗記事がたくさんあったので是非みてみてください 未怜❄️ ▪️▪️▪️▪️▪️姫予約受付中▪️▪️▪️▪️▪️ Googleカレンダーからのご予約の際は、【ご予約いただく前に、何よりも先ず!必ず!】 gmail.com ドメインからのメールを受信可能な設定にしておいてからご予約ください❗️ 「予約が完了しました」という自動の画面表示および自動メールでは、まだご予約は一切成立しておらず♀️、ご予約の成立⇔不成立を記載した未怜からの手動メールを必ずご受信いただく必要があるためです。 もし、「予約が完了しました」という【自動メールのご受信から12時間以上が経っても、未怜からの手動メールを受け取られていない場合】すぐに店舗 044-245-0589 までお電話ください。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ Googleカレンダーからの予約はこちら☟☟☟ ️ https://calendar.app.google/sJEjwBY1CEtw1aABA |
店長コメント
川崎最高級クラスの当店であれば、絶対に貴方を満足させてみせます!お好みの女性を見つけてスタンダードにお遊び頂くことはもちろん、二輪車にも自信がありますので、ご興味をお持ちの方は是非ともお申し付けください。料金システムは記載通りの明瞭会計でご案内させて頂いておりますため、ソープ未経験の方のご来店もお待ちしております。