マンゾクネット愛知 名古屋 裏風俗 研究所 温故知新シリーズ17旧遊郭地帯を訪ねて
【2009.10.21】

温故知新シリーズ5 旧遊廓地帯を訪ねて…

岡崎の知られざる歴史、東海道に栄えた大宿場町

 好評の風俗歴史シリーズだが、今回は徳川家康ゆかりの地、東海道五十三次の中でも屈指の規模を誇った城下町の大宿「岡崎市」にスポットを当てる。歴史街道の中で意外に身近な場所の知られざる部分に注目だ!

現存する古い建物

国道1号線からほど近い所に現存する
板屋町の古い建物が往年の雰囲気を伝える

江戸時代初期には大盛況の宿場町…


 「岡崎女郎衆は良い女郎衆」と現在も三河地方を中心に伝わる小唄がある。この小唄がいつ頃から唄われ始めたのか定かではないが、大正15年(1926年)発行の「岡崎市史」によれば、元禄2年(年)版の「一目玉鉾」の中にある、「岡崎の條」で「むかしは、此宿に遊女ありて、獅子踊の岡崎ぶしをこれよりうたひはじめし」という箇所があると記述がある。したがって、元禄以前からこの小唄があったことは明白だろう。この「女郎衆」とはいわゆる旅籠屋で旅人をもてなした「飯盛女」を示していることは言うまでもない。
 さて、いきなり岡崎市の性風俗の歴史をひも解く資料を紹介したが、そもそも「岡崎宿」とは、「東海道中膝栗毛」〈享和2年(1802年)~文化11年(1814年)〉によれば、東海道五十三次の第三十八次目の宿場町で、本陣三、脇本陣三、旅籠百十二軒、戸数千五百六十余、人口六千四百九十余人という、城下町との併宿であった。
 この地にかの徳川家康が生誕したことはあまりに有名であるが、その後、家康が東海道の本格的整備を定める以前の慶長5年(1600年)頃にはすでに岡崎宿の整備がなされたといい、松並木や一里塚などの整備の後、慶長9年(1604年)の頃には、旅籠屋(はたごや)の営業も始まっており、この時期にはすでに「飯盛女」も置かれていたであろう、と岡崎市史にはある。その旅籠屋のあった場所であるが、本陣のあった「伝馬町」を中心に、街道筋に広がっていたようである。
 今も昔も岡崎市は交通の要所であることは間違いない。江戸幕府ゆかりの地でもあった岡崎宿は街道の発展とともにこうした旅籠屋も隆盛を極めていくことになる。

150軒の旅籠屋には格付けが存在した


 すでに、寛永年間(1624年~1643年)には街道筋の整備も進み、江戸の中期になると岡崎宿の数は150軒にもなったという。これら旅籠屋には「上切」、「上中切」という格式があり、その下のランク「木銭宿」は「下中」「下」と呼ばれ、明確に宿の格付けがされていた。
 しかし、すべての旅籠屋に飯盛女がいたのかといえば、そうではなかったようで、基本的に遊女は禁制だったため、必要に応じて宿へ遊女を招いたようである。
 ちなみに、幕府は遊女の定めとして、許可された旅籠屋一軒に対して一名ないし二名の遊女を抱えることを許していたが、実際には相当数の遊女を各宿が抱えており、しばしば戒められたものの効果がなかったという。
 さて、岡崎宿の遊女に再び目を向けてみると、岡崎市史によれば、岡崎宿の遊女は「伊勢出身者」が多数を占めていたという。資料を読み込むと、「伊勢国四日市」という文字が散見されるため、このことが分かるのである。

時代に翻弄された明治~昭和の隆盛


 明治期に入ると、多くのこうした旅籠屋を営む者たちは、新政府の発した「人身売買禁止」の令により、飯盛奉公人を解放することになった。その後、「貸座敷渡世規則」が明治6年(1873年)に発布され、こうした旅籠屋は登録申請した後、「公娼」として営業することになったが、岡崎宿の旅籠屋も全国の例外なくそのまま「貸座敷業者」を営むことになった。
 当時は「東遊廓」「松本町」「板屋町」「羽根町」に遊廓があったとされている。
 昭和4年(1929年)上村行彰著『日本遊里史』によれば、「岡崎市伝馬板屋」の貸座敷数は87軒、娼妓数は200名を数えたとある。ちなみに、同時期の名古屋大須「旭廓」は貸座敷数171軒、娼妓数1497名で、現在の名古屋市港区にあった「稲永遊廓」が貸座敷数22軒、娼妓数176名ということなので、そのスケールがお分かりいただけるだろうか?
 その後、時代は戦争への道を突き進み、迎えた昭和20年(1945年)7月20日午前0時頃、岡崎の市街地は約2時間にわたって米軍のB29、80機の全面的空襲を受け、全焼7312戸、半焼230戸、消失面積60万坪、死者207名を出し、まさに市街地は廃墟と化した。この空襲で、伝馬町や板屋町にあった遊廓のほとんどは廃墟と化した。
 終戦後、ガレキの中から数軒の遊廓が復活を果たすべく、「カフェー」スタイルの営業を始める事になったという。これらは「特殊カフェー組合」という全国組織で、いわば「貸座敷業」の看板をかけ代えた形であった。
 その後、昭和33年(1958年)「売春防止法」施行に伴い、岡崎の遊廓群はその役割を終えることになった。廃業した業者は他地方に見られた「トルコ風呂」等への転業は行わず、その後、料理屋やビジネス旅館等に転業を余儀なくされ今に至るという。現在は岡崎城のたたずまいと相まって周辺地域は静かで落ち着いた雰囲気である。
 まさに、東海道の発展とともに歩む岡崎市。東名高速道路の開通や東海道新幹線の開通など、旧東海道、国道1号線を取り巻く環境は激変した。すべてが高速化し古い建物をはじめ、生活習慣、人のつながり、独自性などさもすれば見落としがちな地域の歴史に目を向ける時、そこに豊かな文化を感じるのである。

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