マンゾクネット愛知 名古屋 裏風俗 研究所 温故知新シリーズ17旧遊郭地帯を訪ねて
【2010.01.12】

温故知新シリーズ8旧遊廓地帯を訪ねて…


旅情をそそる歴史街道…桑名の知られざる歴史

三重県一の規模を誇った宿場町

桑名は東海道はもとより、伊勢参りなどで人馬が絶えることなく行き交い、陸路、海路ともに交通の要所に当たる、対岸の熱田宿とともに発展した宿場町でもあった。今回はそんな桑名市の旧遊廓についてレポート。

旧遊廓の建物

旧東海道沿いに現存する旧遊廓の建物
多くは旅館や料亭に転業したという

室町時代にすでに殷盛な港市を形成


 桑名市は名古屋市から約25キロ圏内に位置する人口約14万人(2009年10月推計)の都市である。今回は、そんな桑名市の知られざる性風俗の歴史についてレポート。
 桑名宿は江戸時代以前より、東海道や伊勢道の分岐点として、交通の往来が盛んな宿場町であった。また、木曽三川のうち、揖斐川、長良川河口に接しており、海上からの港市としても大いに栄えた宿である。
 「桑名市史」(昭和62年発行)によれば、関ヶ原の合戦以後の慶長6年(1601年)、本多忠勝が十五万石を以てこの地に封ぜられた時、桑名城を落成。都市生活としての町割を政策として押し進め、武士、商工業者を区別し、市街地を形成した、とある。
 この町割のネーミングは、「町の新旧位置によるもの」(新町、本町など)をはじめ、「町の姿」(堤原、殿町など)や、「移住者の出身地」(江戸町、伊賀町)などから付けられるようになり、中でも「職業に関するもの」として、鍛冶町、鍋屋町、風呂町、などの町名に混じって、「女郎屋町」というネーミングがあることから、江戸時代初期の段階ですでに、桑名には遊廓、あるいは飯盛女を抱える旅籠屋がある程度の規模を誇っていたことが分かるのである。


明治15年には73軒282名の娼妓が在籍


 「桑名市史」(昭和62年発行)によれば、桑名は東海道、伊勢参宮の往還に沿う古駅で、人馬の往来は絶えることなく、こうした行客の旅情を慰める自然の欲求として、江戸時代に遊廓が発生した、と記述がある。
 先述した通り、城下町としての都市政策によって、七ツ屋・浄土寺裏屋敷付近に「女郎屋町」という一角があったことからも、そのことは明白で、さらにこの「女郎屋町」以外にも、江戸時代、文政年間(1818年~1829年)には、川口、江戸町、船馬、本町、片町に遊女屋が散在して隆盛を極めたと、「桑名市史」にはある。
 しかし、廃藩置県後の明治5年(1872年)、政府は公娼制度を定め、従来の娼妓に解散を命じた。このことは、当時の楼主たちにとっては大事件で、桑名では、江戸町で64名、本町で39名、船馬・川口で各7名、舟町で11名、片町で5名、合計133名の娼妓が解放された。
 その後、同年11月には娼妓営業規則を定めて、鑑札の発行により公娼制度がスタートする。この際、先に解放された娼妓は再び古巣に戻ってきたといわれている。
 明治15年(1882年)には、統計によると桑名遊廓貸座敷は73軒、娼妓数は282名を数えたという。


B29の空襲で壊滅 売春防止法で消滅


 昭和4年(1929年)発行の「日本遊里史」によれば、この当時の三重県全体の娼妓数は1832名を数えている。三重県内にあった遊廓の中で、娼妓の数の多さでいくと、桑名遊廓が156名、ついで宇治山田古市遊廓が135名、愛宕遊廓(伊賀上野)が134名となっている。名古屋の旭遊廓などと比較すると娼妓数は歴然と少なくなるが、遊廓地の分布で見てみると、愛知県が4ヵ所に比べ、三重県内は、「津藤枝」、「亀山」、「関」、「十日市」、「常磐」、「一身田」、「河芸上野」、「久居」、「愛宕」、「川井」、「阿山上野」、「名張」、「四日市北町」、「四日市南町」、「四日市高砂町」、「長島」、「菰生」、「石薬師」、「山田古市」、「一の木」、「大世古」、「曽根」、「田丸」、「神社」、「鳥羽」、「的矢」、「渡鹿野」、「浜島」、「中井浦」、「天満浦」、「引本」、「荒塚」と桑名を含めて、33ヵ所に遊廓が存在していた。この数は北海道に次ぐ2番目の多さで、本州では日本一の数だった。三重県の文化の多様性を物語る数といっていいだろう。
 さて、桑名の遊廓に再び目を向けると、戦争も終わりにさしかかった、昭和20年(1945年)7月17日、午前1時30分頃より約2時間にわたる米軍のB29の空襲により、市内の80%に相当する一帯は焼失した。ついで7月24日には、再びB29の空襲を受け、桑名駅周辺は壊滅的状態に陥り、市街地の91%を失い、死者416名を出した。この時、近鉄の揖斐川鉄橋も空襲の被害を受けたという。またこの際、桑名遊廓も焼失して壊滅的な被害を受けている。
 戦後、東海三県にあった組合により廃娼運動が盛んになり、桑名の業者間にも陳情運動が起こったが、結局自発的に全国にさきがけ、廃業を宣言した。
 そして迎えた昭和32年(1957年)、桑名にあった貸座敷業者23軒の全部が廃業し、その長い歴史に幕を閉じたのである。

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